アジアの災害記録と記憶:令和元年東日本台風
―まちの価値を未来につなぐ―
令和元年東日本台風(台風15号・19号)による被災から2年を迎えました。亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、そのご家族や被災された方々に、心より深くお悔やみとお見舞いを申し上げます。
令和元年東日本台風により河川の氾濫が相次ぎ、人的・住家・ライフラインへの甚大な被害が東日本の広範囲で発生しました。中でも、長野市長沼地区では、10月13日、穂保地先の破堤によって地区内のほぼ全域が浸水し899世帯の内、873件で住家被害が報告された他、支所並びに体育館、小学校や保育園を含めたまちの拠点も被災する事態となりました。被災直後の初動調査で聞いた「このまちが無くなってしまうかもしれない」という住民の声に追い打ちをかけるかのように、今月初頭には市長から長沼地区での災害公営住宅建設断念について表明がありました。住み慣れたつながりの深いまちに、帰りたくでも戻ることができない事態が生じていることに憤りを感じざるを得ません。そして災害がまちの縮退を加速化させるという危機感が現実味を帯びて目の前に迫っています。
長沼地区は信州りんごの発祥地である他、かつて長沼城の城下町であり、北国街道松代道の宿場町としても栄えた歴史ある集落です。約6㎢の地区内には少なくとも17の寺/神社が密集しており、地区内では洪水常襲地としての記録や伝統的建造物など、有形・無形の歴史的文化遺産が多数存在しています。また、千曲川と北アルプスを背景とする大パノラマの麓でりんごや桃、シャインマスカットやナガノパープル等、食べた人を幸せにする果物が農家さんの手によって命がけで育てられています。自然の脅威と恵のバランスの中で紡がれる人々の試行錯誤と暮らしの工夫によって生き抜いてきたまちの歴史は、気候危機の中で誰もが無視することのできない食料確保とまちの継承という課題に取組んできた先進事例でもあります。
長沼地区で2名の方が亡くなられたことは大変遺憾ながらも、一級河川の越水・破堤という巨大な水流/水量が確認されている中で、住民主導の早期警報と避難によって人的被害が最小限に留まったことは、まちの人々のつながりと不断の努力の証となりました。頻発化・激甚化する災害を前に、気候変動に適応する住まい方・暮らし方、コミュニティ防災の在り方は地球規模の課題となっており、長沼地区の実践には、国内はもちろん世界に共有すべき知見が詰まっています。そしてこれからの復興プロセスにおいて、国内で加速化するコンパクトシティ化によって取りこぼれる、まちや人を、地域主体・市民社会が支える仕組みはいかにして可能かという点、地球規模では気候危機の中での生業や住まい方の選択が地域の持続性をいかに左右するかいう点がまちの価値を未来につなぎ高める可能性を大きく秘めています。偶然ながら、10月13日は国連で定められた「国際防災の日」です。今までの長沼、そしてこれからの長沼の在り方について、地球規模で伝え、世界が注目する レジリエントなまちNAGANUMAとして世界に発信する機会になればと思います。
SEEDS Asiaは2019年被災後の初動調査以降、コロナ禍での協議を可能にするタブレット端末やWifiなどの協議環境の整備、専門家とつなぐ復興リレー講座の他、今年度からは現地に事務所を構え、地元の方々で構成される長沼地区復興対策企画委員会のコミュニティ部会の活動支援に携わる機会を頂いて参りました。長沼を離れる決断を(余儀なく)された方も、長沼で暮らす決心をされた方も、そして長沼を応援したいと思っている国内外の方々を含めた市民社会をつなぎ、長沼の価値を世界と未来につなぐ復興への歩みをご一緒できれば幸いです。
改めて、被災されたみなさまの一日も早い日常が取り戻されることを強く祈念申し上げますと共に、今日の日を思い出す全ての方々に安寧が共にありますように。