堤防のあるまち長野市長沼地区からつなぐ、ヒンタダ地区向けコミュニティ防災研修(オンライン)の実施【日本/ミャンマー】
SEEDS Asiaは、ミャンマーのヒンタダ地区ワーボチーボ村の方々の避難場所の確保と共に、子どもたちの雨季における教育機会を保障するため、高床式の学校兼シェルターを建設すると共に、地域と学校の連携による災害対応能力の強化を図ってきました。長引く新型コロナウイルス感染症や政情不安等で、計画通り事業を実施できる状況にはないものの、対象者の方々、現地スタッフの安全を最優先としながら、少しずつですが建設と研修を進めています。
ヒンタダ地区は堤防で南北に分かれています。この堤防は英国植民地時代にエヤワディ河の後背湿地を農地に転換すること、そして鉄道を整備するために計画され、1881年に完工したことがヒンタダ地区灌漑局の資料に記録されています。この堤防建設によって、ヒンタダ地区の堤防以南は巨大な稲作地帯となり、人口も増加した一方、ヒンタダ地区の北部は堤外地となり、その微高地で暮らしていたワーボチーボ村は、毎年雨季には堤防でせき止められた水が停滞するために長期間に亘る浸水が問題となっていました。この地域では高床式の家屋が基本ですが、それを超える浸水高に達した時には小舟による漂流避難を強いられ、学校は閉鎖し、水や虫を媒介とする感染症が多く発生する等、浸水対策に加えて、生活環境、教育環境の改善が必要な状況にありました。ヒンタダ地区では、毎年のように起こる堤外地の浸水の他、1974年、1997年、2020年には堤防が決壊し、2015年以降は堤内側でも広い範囲で水位が堤防を越える事態が続いています(参照:ミャンマー農業省農業灌漑局ヒンタダ地区事務所資料)。
7月11日のコミュニティ防災研修では、ミャンマーのデルタ地帯にあり洪水常襲地となっているヒンタダ地区のワーボチーボ村や周辺村の方々と、令和元年東日本台風(台風19号)により千曲川堤防が決壊したことで甚大な被害を受けた長野市長沼地区を、オンラインでつなぎました。車道が整備された日本の堤防を見た瞬間、参加者は「道路が整備されたなんていい堤防なんだ!」と驚くと同時に、「こんな立派な堤防でも決壊するなんて…」と水の威力を改めて実感していました。加えて、寛保2年(1742年)の戌の満水からの洪水記録が、洪水水位標として妙笑寺に掲示されていることに非常に感銘を受けたようで、ミャンマーからの参加者は次世代に記録や教訓を共有していくことの重要性を深く感じていました。加えて、消防団員がまちの半鐘(火事、天災等を知らせるために打つ鐘)を用いて早期警報を行い、多くの命が救われたこと、電信柱に貼付されている浸水予想高の印でリスクが「見える化」されていること等、多くの工夫がまちの中に存在していることをリモートで視察することができました。研修参加者は、①強固なインフラであっても過信せず、自然災害に備えて自助・共助を日々のくらしの中で大切にすること、②災害の記録を後世に伝える努力をしていくことが、命を守り、まちの環境改善には不可欠であることを、長沼のまちの様子や工夫から学びました。
千曲川穂保地堤防の決壊で被害に遭った長沼体育の様子
また、ヒンタダ地区は農業のまちとしてもよく知られており、堤外地では稲作ではなく、葦や唐辛子、トマトなどを栽培しています。ワーボチーボ村の方々は「長沼では何を育てているのか」と興味津々で、長沼地区ではりんごの栽培が盛んであることに高い関心をもっていました。先祖から継承する地域のつながりと技術、その自然資源を生かした生業の継承は、安全性だけでは取り替えることのできない重要な暮らしの要素です。水と折り合いをつけながら居住し生産活動を営む暮らしの工夫について、アジアの国々でつながり、共有知が生み出せるように思いました。
長沼地区穂保りんご畑の様子
いつかSEEDS Asiaが関わってきたアジアの国々をつなぎ、「堤防とくらしのアジア会合」なるものを開催し、それぞれのまちの工夫や教訓を共有できるような機会を持つことができればと思います。