【認定】特定非営利活動法人SEEDS Asia

「広げる支援」から「根付かせる支援」へ 【ミャンマー】

巨大サイクロン・「ナルギス」がミャンマーに襲来したのは2008年5月。
死者・行方不明者約14万人という、甚大な被害をもたらす結果となった。

 

それから1年と4カ月が経った2009年の9月、私はミャンマーの復興防災支援事業の「学校防災プロジェクト」担当として着任し、そろそろ4年が経過する。調印を迎えた新しいプロジェクトの開始を前に、今までと、これからの活動を記録しておこうと、久々にブログを書いてみることを思いついた。

 

 

(1)着任の時にみたもの

着任した2009年のヤンゴンは、まだ車の渋滞なんて想像がつかないくらいの交通事情で、日本で廃車になったはずのオンボロの車がポツリポツリと走るだけ。高層ビルやマンション、高架もなく見上げればいつも空しかないという感じ。買い物はミニゴンという場所にあるシティマートというスーパーくらいで、それでも有難かった。ただ、メールを書くのも検閲でひっかかるんじゃないかということだけは窮屈だった。

 

あれから4年の間に、急に、新古車のような車が一気に増えて、どこにいくにも渋滞に悩まされるようになり、大きなマンションの建設ラッシュが始まって、スーチーさんのTシャツを着て歩いている人が町中に溢れる時代になり、こうしたことをブログにも書けるようになった。着任当初は日本人駐在2人体制だった事務所も、今年度からは私1人に減員。一方、ミャンマー人のスタッフは、当初の3名から船の水上移動式防災教室の船員含め、現在15名になった。

 

2009年の9月の時点の被災地の状況は、まだその瓦礫の残骸が残っていたり屋根や壁の吹き飛んだ学校の建物がそのままになっていたりするような場所がまだあったものの、その付近には全て同じ形の小さな家々がいわゆる復興住宅としてひしめくように建てられている、という時期に達していた。

 

そこに向かう途中、小さな船の停泊所を通ることになったところで、足がすくんでしまった。そこにはドラッグやアルコールに溺れている中年の男たちが居座っていたからだ。地元の案内人に聞けば、家族を失った被災者で、いつもそこに来てたむろしているとのこと。遠慮しながら目の前を歩く私たちに気が付いているのかついていないのか、ただ遠くを見つめている男性、その傍には叫びながら歩いている男性、1人で何かを小さな声で話している男性などが、お互いにコミュニケーションをするわけではなく、その小さな停泊所に集まっていた。

 

もちろん全員に行き届いたわけではない。緊急時の米や水、その後も支援物資が届けられ、漁業に取り組むためのボートが配られ、農業をするための道具や種が配布され、復興住宅も建てられた。しかし、家族全体で農業や漁業に取り組んでいたデルタ地帯の人たちにとっては、家族は生活共同体でもあり、同僚でもあったわけで、その存在を失うということは働く気力、生きるチカラを奪う結果となっていた。物資の配給は心臓を動かすエネルギーにはなっても、希望を提供する事はできない。被災後からずっとこのような状況で過ごしていた(いる)家族や大切な人を失った被災者のことを思うと、いつも思い出すと胸がつまる。これはまた、私が神戸に居た時に感じた、「災害は一瞬でも被災による痛みは一生忘れる事がない」という現実と重なり、改めて、時を戻すことはできなくとも、同じことは繰り返させないという防災への思いを強くさせることとなった。

 

こうした状況の中、ミャンマーにおけるSEEDS Asiaの活動は6年目を迎え、私の駐在も5年目を迎えることとなった。一緒に働くチームの存在に感謝すると共に、まずはミャンマーの防災に対して、SEEDS Asiaに対して届けてくださる、みなさまのご支援やご協力に、この場を借りて心から御礼申し上げたい。

 

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(2) 「広げる支援」から「根付かせる支援」へ

この5年目を迎え、ミャンマーという国自体も大きな変革期にあり、また団体としての対ミャンマー防災支援のアプローチも変革期に入った。それがタイトルにもある「広げる支援」から「根付かせる支援」への移行である。

 

従来、ミャンマーでは、学校教育において、防災教育が全く実施されていなかった。そのため、「ミャンマーには災害は来ない」という根拠のない噂や、「災害はその時に対処すれば良い」という楽観論、「災害は防ぐ事ができないから被災は仕方がない」といった、悲観的な考え方が横行しており、まずは、防災の基本概念「台風や地震などの自然現象は止めることはできなくとも、知識と力の集結によって対処することによって命や財産に対する損害の度合いは削減できるということ(方程式では「リスク」=災害をもたらす自然現象の大きさ×脆弱性÷対処能力)」を伝え、災害に備えるための防災知識をできるだけ広くそして迅速に普及させる「広げる支援」としての防災教育に重点を置いてきた。

 

「ナルギス」後は、みんなが口を揃えて「サイクロンがあんなに大きい被害になるとは思わなかった」「ここまで水がやってくるとは思わなかった」「風速毎時何マイルと言われても分からなかった」と嘆き、戻ることのない命、モノ、ネットワークを悔いた。サイクロンが強風だけでなく高潮や大雨をもたらすということと同時に、低気圧の発生からサイクロンへの発達、そして上陸までには時間があるということ、その状況に関する情報が発せられ、そして届けられ、その情報を受け取る側が理解できれば、デルタの平地でありながらも、人々はより内陸へと避難するだろうし、ナルギスでも死者・行方不明者14万人という甚大な被害にはならなかったはず、と思うと悔しい。

 

こうした理由から、私たちはナルギス後の約5年は、上記のとおり知識の普及「広げる支援」を最優先として集中的に実施し、次の大きな災害がやってくる前に、1人でも多く、そして1日でも早く、災害の仕組みや対処について知ってもらうこと、また準備することで被害リスクが削減できるということを、まず知ってもらうことが大切だった。その為に、私たちは移動式防災教室を開発し、トラックで山を越え、谷を越え、船でおおきな河をどんぶらこと渡り、「たった一度の防災教育の機会が、人の命を左右する」と確信して5地域、38県(タウンシップ)、232校、2万人を超える裨益者(2013年8月現在)に移動式防災教室を用いた防災トレーニングを実施してきた。トレーニングを受けた教員は、防災教育を実践できるようになり、教育を受けた子どもは親や兄弟、友人に伝え、緊急避難持ち出し袋を準備していたり、家族で避難場所について話し合ったり、学校で避難訓練を行なったり、より安全な建築方法で僧院をみんなで建設したり。。。それぞれに学んだ事を実践し、実際の災害時に功を奏したという例は枚挙にいとまがないほどになった。

 

しかし、私たちは同時にジレンマを抱えていた。タウンウォッチングというプログラムの実施において生徒の安全やトレーニングの質を確保するため、1日50人しかプログラムに参加できず、他の生徒が羨ましそうに窓からのぞいている姿を見ると、スタッフの数と、時間と予算の限界とは言え、いつも申し訳ない気持ちになった。さらには学校が会場であるが故に、今後の効果の継続性は見込めても、学校に行っていない子どもは参加することができないということも解決したいと思っていた。こうした参加者が限定されてしまうという問題以外にも、災害リスクの高いところには、もっと時間をかけて取り組み、いろんな手法を紹介したいという私たち自身の希望もあったし、そして学校の教員も教育省のイニシアティブで全国展開しつつある防災教育に興味を持ち、「もっと他のトレーニングも実施して欲しい」といった積極的な声が上がっていた。

 

確かに、防災教育を充実させたいと思えば思うほど、多くの人のチカラが必要になり、その調整や実施には時間がかかるもの。個人やクラス単位だけでできるプログラム(救命ペットボトルの作成や、緊急持ち出し袋)もあれば、学校防災計画には、PTAを含めた学校全体の合意形成や周知のプロセスが必要だし、いざ避難訓練となれば多くの計画と調査を要する上に、学校の全員を動員する必要が出てくる。消火訓練にはそのトレーニングのできる人材や機材を地域から学校に持ち込む事が必要になる。

 

こうした活動を実施していくためには、中長期的な人材の育成と、ネットワークの構築、そして活動を実施していくための場所やシステムつくりを含めた長期的な防災活動の支援を行っていくことが必須である、ということが事後調査でわかってきた。そして、まずはその具体的な成功事例を作っていくことが今後の進展・普及の鍵となると思われ、これから私たちは「根付かせる支援」の方向へと舵を取り始めている。

 

 

(3) そして、いよいよ始まります!

ちょうど広げる支援を5年実施してきた移行期に入る今日この頃。こうした今までの活動と状況を踏まえ、「こんな取り組みをしたら、もっと効果ができるのではないか」と思いながら描いた理想のプロジェクトが、JICAの草の根パートナー事業というスキームの下に採択され、政府含めた関係機関4者間署名式を経て、9月から約3年の事業が開始する事になった。

 

このスキームは、申請、プロジェクト実施、重なる報告業務に至るまで、内容にも形式にも厳しいため、人道援助業界では「登竜門」と言われているもので、このプロジェクトの採択は、団体自体への信用(活動の内容と実施能力、会計を含めた団体自体の組織運営)についてもお墨付きをいただくようなもの、とも言え、非常に喜ばしい事でもある分、不安になってしまうほど大きな責任を伴う。

 

私たちの団体以外にも、サイクロン・ナルギス後、日本政府やアセアン諸国、多くの国際/国内NGO、国連やJICAを含めたドナー機関も一緒にミャンマーの復興と防災力の向上に向け、様々なレベルで多くの支援を実施してきた。そして、ミャンマー政府の防災事業についても、国家防災計画が立案、施行され、大きな発展の中にある。新しい気象レーダーが導入され、国家の防災マネジメント・トレーニングセンターを国家予算で2~3年かけて設立する事が決定し、来年度から工科大学での防災コースの導入も検討され、この8月にはとうとう防災法が国会で可決され公布されるようになった。このように、ミャンマーでは国家的に長期的な防災人材育成と防災システムの充実へと踏み出している中、私たちもまた関係者の方々の動きを見ながら、そして対象者の思いに耳を傾け、その状況や、先人の経験や実績に学びながら、同じ目的へと向かうチームとして、相乗効果を図りつつ、ミャンマーの防災力向上に向けて取り組んでいこうと思う。

 

みなさまにはこれからもお力添えを願う事もあると思います。

 

これからも引き続きどうかご支援ご協力のほど、宜しくお願い申し上げます。

 

ミャンマー事務所 代表

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2013/08/19

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